言ってはならない一言(ひとこと)、それは世の中にたくさんある。
悪意のない何気ない(不用意な)一言でさえ他者を十分に傷付ける。
でもなかにはわざわざその一言を
『悪意を持って』他者に投げつける人々がいる。
誰が言ったか(或いはやったか)分からないからという匿名性が、人々の邪悪な部分を引き出してしまうのだろうか?
先日、某掲示板にあきれかえった話を書いた。
その後もそちらを何度が訪問したが、やはりあまり感心しなかった。(かなり不快であった)
特に私が許せないと思ったのは、不幸な犬や猫を救うために頑張っておられる方々に対する悪意に溢れた言葉の数々・・・・・
『好きでやってるんでしょう』というのにはとにかくあきれた。
哀れな犬や猫を見かねて始めた方々がほとんどだと思う。
資金面等で相当苦労されている方々も多いというのに、
『好きでやっているんでしょう』は許せない。
また、
『捕食能力がない動物は淘汰されて当然』という意見にも呆れた。
愛玩動物は人間が作り出した存在である。『伴侶動物』という言い方もされる。
これらの動物の特性は、
『人間と暮らすために野生を失っている』ということ。
言い換えれば
『人間と共に暮らすことでしか生存できない』ということか・・・・
そういう存在を
『鬱陶しくなったから』と、簡単に遺棄する人間を私は心底軽蔑している。
その掲示板で『地域猫』に関する意見(中には言い掛かりっぽいものも)も拝見した。
私は『地域猫』活動は、野良猫問題の解決策としてかなり有効だと思っている。
だが次のような意見があることも事実である。
『野良猫で迷惑している私たちが、何故その猫の面倒をみなければならないのか!地域社会に押し付けるのは言語道断!!』というもの。
この意見にはなるほどと納得するのだが・・・・じゃあどうするのか?という段になると・・・・である。
まあ簡単に捕獲して保健所送りとか、死に絶えるのを待てばいいと思っているみたいだが、そう簡単にいかないから日本は野良猫で溢れちゃったんだよね^_^;
多分この考えだと野良猫はいなくならないだろうと思う・・・・
もっと積極的な方策が必要だから『地域猫』という考え方が出てきたのではないだろうか?
この問題は以前からブログで取り上げたいと思っていたが、私自身もまだ考えが定まっていない。
ぼちぼちと書いていこうと思っている。いずれにしろ
『安易に殺す』ことだけには反対である。
安易に殺さず野良猫の数を減らしていく、まどろっこしい活動であっても、安易に流れるよりはいい。
昨日からめっきり涼しくなった。
ようやく秋が訪れたというより、もう冬に突入しようとしている感じを受ける。
これは我が家の秋『萩の花』。私が一番好きな花でもある。