ポンがあの世へと旅立った時、あの子をどうやって見送ろうか悩んだ。
マリの時には何もしてやらず終いで、後からとても悔いたからだ。
ペット霊園での個別葬も考えたけれど、結局止めた。
ポンのお骨が手元に戻ったとしても、ポンを家族のお墓に入れることが出来ないからだ。
だからポンの遺毛のみを手元に残した。
いつか家族の誰かの遺骸と共に荼毘に付されることになるだろう。
私たちはポンのために祭壇を作った。
父が一晩中お守りをした。香華を絶やさぬようにお守りをした。
私たちはポンのために手作りの棺を作った。
愛らしかったあの子に相応しいものにしようと、棺を可愛らしい包装紙で覆った。
ポンのために手作りした棺。可愛い包装紙が分かるだろうか? 棺に納めたポンの遺骸を、地元の火葬場に持ち込んだ。
火葬場にも祭壇が用意されており、最後のお別れが出来るようになっていた。
ポンの棺には沢山のお花を入れた。
あの子の好きだったカリカリも、生前していた赤い首輪も一緒に入れた。 お金こそ掛けなかったけれど、心を込めてポンを送った。
それが長年家族として共に暮らしてきたポンへの礼儀だと思った。
華美な葬式には反対だけれど、それと丁重に見送ることは別だ。
私には長年共に暮らしてきた家族を、ゴミとして捨てる人の気持ちは分からない。
『ゴミに捨てて何が悪い!』と言う人がいるそうだ。
法に触れているとか触れていないとかの問題ではない。
私の感覚では許しがたいことなのだ。
火葬場の脇にあった『友愛の碑』 余談だがポンを見送った時に、私はお気に入りの手袋の片方を失くした。
ポンに死なれ手袋まで失くした・・・・とぼやいていたらある年下の友人が
『きっとポンちゃんが淋しくないように持っていったんですよ』と言ってくれた。
その一言にとても感動した。
なんて素晴らしい考え方なんだろう!
ポンは私の片方の手袋をくわえて虹の橋を渡ったのだろうか?
手袋をおもちゃにして遊んでいるのだろうか?
虹の橋で手袋をおもちゃにしている子がいたら、それは私たちのポン。
あの子の遊んでいる姿が目に見える。