こんばんは。ポンです。
今日はお名前付きの革の首輪なの♪
可愛いでしょう?
こんばんは。トマシーナです。
今日で11月も終わり、明日からは忙しい12月です。
明日は今年2回目の忘年会です。もう2回目なんですよ(笑)
さて今日も昨日に引き続き、ちょっと真面目なお話です。
今年非常に評判になった
『子猫殺し』の作家のエッセイについて、私なりのコメントをしておきたいと思います。
これについてはかなりいろいろな方がご意見を書かれているので、今更と思うのだが、少し感じたことを書かせていただく。
まず感じたのが、このエッセイの論理が滅茶苦茶であること。
何が言いたいのか分らない文章だな?というのが、共通した感想のようである。
避妊去勢しないということで『猫たちの性(生)』を肯定しておきながら、その産物である『子猫の生』は否定する論理矛盾。
また、飼い猫たちがしゃべれたら『避妊去勢などしないで欲しい』と言うに違いないと述べておられるが、それなら『私の子供を殺さないで欲しい』と言うに違いないとも言えるではないか!
このバランス感覚は明らかにおかしいと思う。
次に感じたのはこの方の『狡さ』である。
日本の動物愛護法はいろいろな経緯があり、近年罰則が厳しくなったし、また今後更に厳しくなっていく方向にある。
その日本に暮らしていたなら、おそらくこの内容のエッセイは書かなかったのではないだろうかと思う。
間違いなく『犯罪者』として罰せられるからだ。彼女の犯罪がタヒチで行われている以上、日本の法律で罰せられる事はない。
また、彼女の得意ジャンル(ホラー)は非常にマニアックであるから、読者層も一般的ではなくかなり特殊(?)。そうなると著書の売れ行きが、この件で左右されることはないだろう。
むしろ売上をのばすかもしれない。そこまで計算していたとしたら、かなり恐ろしい人だということになるが・・・・
彼女のエッセイがどんな駄文であろうと、彼女が罰せられないだろうことも、罰せられたとしても小額の罰金刑でしかないだろうことも、彼女の著書の売上も、私にはどうでもいい。
ただただ彼女とともに暮らしている犬や猫たちが哀れである。
『子供は親を選べない』とよく言うが、『犬や猫だって飼い主を選べない』のである。
そして、私は自分の傍らにいる3匹の猫たちを見る。
みな『身勝手な飼い主に捨てられ』我が家に来た。
もしこの子たちがしゃべれるのなら聞いてみたい。
『お前たちはうちの子になって幸せ?』と。どんな答えが返ってくるのだろうか?
出来れば『もちろん!』と答えて欲しいが、シニカルに『馬鹿な質問をしないで、時間の無駄よ!それよりご飯!!』と言われそうな気もするのである。
追記:皆様がエッセイの内容を知っていらっしゃることを前提にコメントさせていただきました。