徒然に綴るきゅうママの日記。拙いひとり言

November, 2010
-
01
02
03
04
05
06
07
08
09
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
-
-
-
-
PROFILE
きゅうちゃん

2002年3月15日生まれです。「子猫もらってください」の貼り紙がご縁で幸か不幸か我が家の一員に。手荒く元気に遊んでくれるお兄ちゃん達が大好きなきゅうちゃんです。我が家の女王さまなのだ〜〜

きゅうママ

小学生だった子供達がお金を出し合って買ってくれた誕生日プレゼントのDVDが1番の宝物。歳には勝てない!。と実感してはいても、気持ちだけは「お姉さん」

MYALBUM
CATEGORY
RECENT
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
ARCHIVES
LINK
SEARCH
PR




Sep 10, 2008
手根管症候群
昨日バレット掲示板にはレスしてしまいました。
子供の高校の文化祭、役員メインの仕事であるバザーが無事に終わり、ほっとして。
昨日は8週間に1度の脊椎外科の診察でした。
手術してから7年間お世話になっている、脊椎外科の教授。教授らしくない、とてもきさくで話しやすい医師です。
頚椎の病気をして以来、両手は常に痺れていおる状態です。左手は殆んど力が入らず、使えない。右手はピリピリ痛む時もありました。
でも家事をしなければ誰もしてくれる人はいないので、不自由ではあっても比較的使える右手を使って、本当に最低限の家事をしていました。
しかし、最近右手の痺れと痛みが強くなりました。一時的に頚椎の調子が悪いのだろうと思っていました。
診察で医師にその旨を話しました。
左右の手のひらを見せるように言われ、手を広げました。
それを見た時、医師の顔が急に厳しくなりました。
右手親指の付け根の筋肉が左手と比べて明らかに落ちていました。神経麻痺。色々な診察の結果「手根管症候群」と診断されました。
力が入らず、不自由な右手だけで無理なことをし続けて負担が大きすぎたため。ということでした。
またそれか!。
無意識のうちに、自分では気付かないで無理をしていたのです。
普通なら、右手でしていることをなるべく左手で。とアドバイスするのだそうです。
でも私の場合左手は殆んど使えないのです。それをしたら時間の問題で左手も手根管症候群になってしまうであろう。
なるべく右手に負担をかけないようにしよう。ということでした。
私は今仕事はしていません.専業主婦で家事しかしていません。
その家事も色々工夫して。できるだけ負担がかからないようにしています。これ以上何を減らすと言うのか?。
ただできること。それは右手に持っていた杖を左に持ち替えることくらいです。左手は殆んど力が入らないので、私の重い体を支え切れません。だから当然歩きづらくなります。
どうしたらよいのか。。。取り敢えずゆっくり歩くようにして、薬を飲んで8週間様子を見ようと言う事になりました。
帰りの車では運転しながら、涙が止まりませんでした。
家に着いて色々調べました。「手根管症候群」重症の場合親指付け根に筋委縮がみられる。投薬で回復しない場合は手術。術後回復には年単位の時間がかかり、全快しない場合もある。と書いてありました。
もうどうにでもなれ!。でした。
幸い頚椎の時と違うのは、子供達が成長している事。
お弁当を作るのもあと1年半です。
子供達が育ったら、私の役割は終わり!
結婚したらお嫁さんにとっては姑はいない方がいいのです。
いても元気な姑じゃないほうがいいのです。
きゅうちゃんはきっと子供達が可愛がってくれると思います。
体調維持と生活の質。どちらをとるか?。
私は生活の質を取りたいです。
できる限り家族の中で、私の責任を果たし、精一杯家事をして、
日曜日には教会に行って、時には友達とランチをして・・・。
楽しく、活き活きと、私らしく1日を過ごし、そのような日を積み上げて生きていたい。後悔しないように。
自分のことが自分でできなくなる日が早く来るかも知れない。
それは辛く、悲しいことです。
でもそんな中でも、それを受け入れ、神様の前をしっかりと歩んで行きたいです。
文化祭
9月6日、7日
子供の学校の文化祭でした。
役員としてのメインのお仕事、バザーの時です。
2週間前の商品の仕分け、値付け。
前日準備とそして当日。
「案するより産むが易し」。思っていたほどのこともなく無事に楽しく終了しました。
役員を引き受けた時には「どうしよう」と思いました。
でもそのお蔭で、学校に行く機会も増えて、学校の様子がよくわかりました。
幼稚園、小学校の時には役員でなくても授業参観、学年行事、運動会など、学校に行く機会は結構ありました。
でも高校生にもなると授業参観は年に一度です。
その他に学校に行くのは三者面談の時くらいです。
上の子はよくお弁当を忘れていったので、お弁当を持って「デリバリーです」って皮肉を言いながら校門のところまでは行きましたが。。。
それ以外学校には殆んど行きませんでした。
ましてや文化祭に親が行くなんて。考えてもみませんでした。
でも今回、勢いで役員を引き受けてしまったのですが、
そのお蔭で高校の文化祭に行くことができたのです。ラッキーです。
子供達はそれぞれの持ち場で一所懸命になっていました。
PTAの部屋に「〜〜はいかがですか〜」と入って来るのです。
そうするとみんな迷わずに買ってしまうのです。
スーパーに行ったら簡単には買いませんが、高校生が一所懸命に作ったものを一所懸命の持って来るのです。
買わない人はいません。
そして子供達も「あそこに行けば確実に買ってもらえる」って解って売りに来るのです。
それがまた可愛くて、可愛くて「お母さんの幸せ」をみんなで味わってしまいました。
そして私自身も知り合いになった人が増えて、友達の輪が拡がりました。
後は11月のPTA講演会で役員の仕事は終わりです。
不安もありましたが、引き受けて良かったと思います。
Sep 06, 2008
きゅうちゃんのひとりごと
ひとり言

ママが言ってたにゃ「またきゅうちゃんと二人ね」って
夏休みが終わって小さいお兄ちゃんの学校が始まったにゃ。
夏休みって言っても小さいお兄ちゃん、部活とか生徒会とか塾で1日家にいる事は殆んどなかったにゃ。
でもお昼はいつも家だったから、お兄ちゃんの学校が始まったらママ、少し淋しいのかにゃ〜。
そう言えば大きいお兄ちゃんが帰って来たにゃ。
大学2年生、帰って来る度に成長してるって、一人でよく頑張ってるってママが言ってたにゃ。
。「きゅうちゃんは大きいお兄ちゃんの事、忘れてるんじゃないの」だって。失礼にゃ
大好きな大きいお兄ちゃんにゃ忘れるわけないにゃ
真っ先に玄関に走って行ってお出迎えしたにゃ。
大きいお兄ちゃんは私を抱っこして高い高いしてくれたにゃ。
夜、部屋の前で「入れてにゃ〜」って鳴いたら中にいれてくれて、一緒に寝たんだにゃ
大きいお兄ちゃん、ネコアレルギーなのに・・・大丈夫かにゃ?。
大きい兄ちゃんは10日間家にいたって。
そしたらまた知らないお兄ちゃんが泊まりに来たにゃ。
ママが「ねっちゃんよ。小さいお兄ちゃんのお友達よ」っていってたにゃ。
ねっちゃんって言うのか。私はきゅうちゃんにゃ。なんか似てるにゃ。
始めは怖かったけど、とっても」優しいお兄ちゃんだったにゃ。
すぐに「ごろにゃん」しちゃったにゃ。
小さいお兄ちゃんとねっちゃん、とっても楽しそうだったにゃ。
パパとママが寝るまではお兄ちゃんのお部屋にいたけど、みんなが寝たら、リビングに来てずっとお菓子を食べて、コーラを飲みながら色々なお話をしたり、ゲームしたりしてたにゃ。
そしてママの目覚ましが鳴ったら、慌てて片付けてまたお兄ちゃんの部屋に行ったにゃ。
殆んど寝てないんじゃないのかにゃ〜。でもママは「男の子なんだから、それに高校生で若いんだから、一晩くらい寝なくても大丈夫」って言ってたにゃ。
ねっちゃん、優しかったにゃ。
私を撫で撫でしてくれたにゃ。
私の事可愛いって。特に鼻の黒と口元がいいって。
鼻の黒ってどういう意味にゃ
でも褒めてくれたにゃ。嬉しかったにゃ。
ママ。冬休みまでまた私と二人にゃ
ひとりごと