徒然に綴るきゅうママの日記。拙いひとり言

November, 2010
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PROFILE
きゅうちゃん

2002年3月15日生まれです。「子猫もらってください」の貼り紙がご縁で幸か不幸か我が家の一員に。手荒く元気に遊んでくれるお兄ちゃん達が大好きなきゅうちゃんです。我が家の女王さまなのだ〜〜

きゅうママ

小学生だった子供達がお金を出し合って買ってくれた誕生日プレゼントのDVDが1番の宝物。歳には勝てない!。と実感してはいても、気持ちだけは「お姉さん」

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それぞれのタラント
聖書の中でイエス様はこんなたとえ話をされています。
(ここに出てくる「タラント」とは当時の通貨の単位で、1タラントは6千デナリ、そして1日分の賃金が1デナリなので、1タラントは6千日分の賃金に相当するのだそうです。)

ある人が3人のしもべに、それぞれ能力に応じて、5タラント、2タラント、1タラントを預けて旅に出た。
5タラント預かった人、2タラント預かった人はそれぞれそれをもとに、仕事をしてさらに5タラントを10タラントに。2タラントを4タラントにした。その人達は主人から「よくやった。忠実なしもべだ」と褒められた。しかし1タラント預かった人は不満に思い、その1タラントを地に埋めてしまった。その人に対して主人は「悪い怠け者だ。その1タラントを取り上げて、10タラント持っている人にあげなさい」という。持っている者はさらに与えられ、持たない者は持っている物もなくしてしまう。
というものです。

ここでイエス様が言いたいことは、人はみんな持っている物が違い。神様の前にはどんな人でも、一人一人が個性のある、ユニークな大切な存在なのだ。
でも神様を見失ってしまうと、自分を他の人と比較して、自己卑下して、劣等感を持ったり、優越感を持って、他の人を見下したりしてしまう。そして、多くの人は持っているものに目を留めず、足りないものに目を留め、不満に思う。
少しでも持っている物に感謝できない。そして持っていると思うと、それもまた感謝せず、高慢になる。それが神の前に罪人である私達人間の現実の姿なのだ。
「1タラントある」と考えるか「1タラントしか持っていない」と考えるかでは、かなりの違いがある。
「1タラントしかない」としか考えられないのでは、持っている人に対して妬み、嫉妬、そしてそねみが生まれる。
「1タラントある」と考えれば、感謝が生まれ、他人と比較することなく、伸び伸びと生きられる。

最近、秋葉原の事件や思春期の子が大きい事件を起こしている。
そして、その犯人は大体「親が悪い」「先生が悪い」と人に責任転嫁している。「甘えているんじゃない!」って言いたい。どんな理由があったにせよ。犯罪を犯したのは自分なんです。それを、誰かに責任を押し付けはいけないのです。自分が犯した罪。その現実をしっかり把握して、自分の責任でしっかりと罪を償うべきなのです。責任転嫁なんてしてはならないのです。

でも彼らにも同情する所はあるのです。
幼い頃から、1タラント預けられた人のような親から十分な愛情を注がれることなく、自分自身をしっかりと認めてもらえず、他人と比較され、競走馬のように、支配されてきたんだと思うのです。「親に無条件で愛され、認められる」という土台がなく、自分の価値を見だせないまま成長してしまったのだと思うのです。一人の人間としてしっかりしつけられずに育ったんだと思います。確かな指針を持たない親から他人の子と比較し続けられたんです。

ネコのきゅうちゃんを通してお知り合いになれた方のブログを拝見すると皆さん愛情豊かな方達だと思います。きっと十分な愛情を受けて育った方達なんだろうと思うんです。だから愛し方を自然に身につけられたのではないでしょうか?。
バレット掲示板の方達も同じです。とても心優しい方達で、癒されます。だからレスが楽しみになるのです。

田原米子さんと言う方がおりました。最近亡くなられました。私も以前お会いしたことがありますが、とっても明るくステキな方でした。
その方は思春期に「生きる」ということに真剣に悩み、電車に飛び込み、命は助かりましたが、両足、片手を失い、右手の指3本しか残りませんでした。
その後聖書に出会いクリスチャンになり、そこで気付いたことが「3本残っている」ということだそうです。
牧師と結婚し、3人の子供さんに恵まれ、米子さんは義足を履き、3本の指で工夫して家事、育児をこなしたそうです。
もちろん偏見は避けられなかったようです。それは仕方ありません。でも3人の子供さんたちはとっても伸び伸び育っておりました。ひがんで問題を起こすような子には育っていません。

私も米子さんのように生きたいと思いました。
杖を使えば歩ける。
確かに手は不自由だけど10本揃っていて、工夫すれば家事ができる。
首の病気で排尿障害、排便障害が出てしまったけど、薬を飲めば大丈夫。
逆食はあるけど、命にかかわるものではない。食道癌になる前に、逆食のうちに見つかって良かった。

前の記事にも書きましたが、首の病気をして、障害が重くなってから、買い物の時、電車やバスに乗った時など、色々な人の優しさに触れることが、多くなりました。
それから何よりも家族旅行です。普通男の子は高校生、大学生にもなると家族旅行なんて行きたがりません。でもうちの子達は私の車イスを押してくれるために一緒に行ってくれるんです。ラッキーです。
そして障害があるからこそできることもあるんです。
それは障害を持った方の気持ちを理解することです。
友達のお母さんが病気で不自由になってしまったのですが、私がお見舞いに行くのを楽しみにしてくれているんです。
また別の友達の妹さんが若くして神経難病になり、大変な状態なのですが、やはりお見舞いに行くととっても喜んでくれます。

あまり長く生きられないかも知れない。でも残されているものに感謝して明るく、精一杯生きて行きたいと思う。

今回は長くなってしまいました。ごめんなさい。


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