単独生活を基本とする猫族と違って、
わたしたち人間は、さまざまな群れに属して暮らします。
会社組織、学校、地域社会、家族親族、
それぞれのコミュニティで、
それに適したルールやマナーに則って生活しています。
わたしはかつてOLでした。
一般事務職として勤めていたわしは、
会社組織というピラミッドの、
底辺の中のひとつの点というポジションでした。
底辺上の一点からこのヒエラルキーの三角形を見渡すとき、
上、あるいは横、しか存在しません。
スムーズに、正確に仕事を全うするために、
上への確認・報告、横との連絡・協力、これが重要な鍵になります。
上への報告を怠れば責任問題が絡んできますし、
横との関係がギクシャクすれば、仕事は円滑に進みません。
常に上と横への配慮が必要なポジションでした。
現在はといえば、仕事としてのヒエラルキーでいえば、
やはり底辺を支えるポジションにあたりますが、
ひとつの社会として捉えると、
わたしたちの下に沢山の子どもたちがいます。
上と横だけでなく、下への気配りが重要なわけです。
上と横にお伺いを立てている間も、下はじっととどまってはいません。
ある程度、自分の判断で実行に移してしまえる機動性が必要とされます。
この機動性、つまり決断力・行動力という面が、
実はわたしは非常に弱いのです。
というのも、これまで群れの底辺しか担ったことがないからです。
家族という群れにおいても、
いまだかつて姉であったことも母となったこともなく、
即ち自分以外の人間に指示を与えるという経験を
全くしてこなかったといえます。
上と横を見るのは得意でも、
下への接し方がぎこちなくなってしまうのです。
逆に下への指示を得手とするひとの中には、
横との連携の不得手な人もいるかもしれません。
普通の学校社会のように、
クラスがあって担任がその一つのクラスを責任を持って運営する、
という形ではなく、大勢の児童を複数の人間が指導する、
しかも終始一貫して関わるのではなく、シフトによって動く、
となると、横との連絡は不可欠なはずです。
また、各々が自己の判断で下へ指示を出しては、
下も混乱するばかりでしょう。
自分なりの倫理観やポリシー、判断力・行動力に自信があり、
他者を指導し慣れた人ほど、自己完結することによって
横に目が行き届きにくいということだってあるかもしれません。
人間は犬や猿とは違って、いくつもの群れに同時に属しています。
それぞれの群れで違った立場にいる場合、
やはり立場に応じた動きが必要とされます。
会社ではワンマン社長さんでも、入会したばかりの社交ダンスクラブでは
一番の新参者でヘタッピイ、ということもあるでしょう。
学校で一番優秀な生徒が、ボーイスカウトではまるで使えないヤツだったりもするでしょう。
そんなときに、「ワシは社長だぞ!」「ボクは生徒会長だぞ!」と言ったって
なんの値打ちもない場合だってあるのです。
人間は機械ではありませんから、
スイッチ一つでたやすくモードを切り替えるというわけにはいきません。
どうしたって完璧にはいかずに、どこかに不具合があるものです。
ただ、お給料をもらっている仕事の場合、
やはり少しでもその仕事に適したモードに近づく努力は必要でしょう。
どうしても足りない部分は、
上下左右、互いの協力、思いやりと許容力でしょうか。
それでも辛抱できなければ、べつの群れを探すか、
離れ猿のようにひとりで過ごすか、となるのかもしれません。
とかく人の世は難しい。
猫のように「わたしはわたしよ」と澄ましていられたら、とうらやましくなります。