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これは実家犬のゴンです。
獅子舞のかぶりものをしたら・・・・
なんと!!
シーサーに変身しました。
こわいですねえ。
ヒトを喰っています。
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1996年の昨日、コロが死んだ。 正確には「処分しました」なんだろうな。
いまだにあの日の朝のコロを思うだけで涙が出るけど。
でも、しかたなかった。 人間のエゴだけど。
だけど、もうあんな思いはイヤだな。 かりんさんには最期まで元気で、コロリと大往生してほしいな。 それもまた、こちらの勝手な希望だけど。
あの日もやっぱりよく晴れて、葉桜の緑とピンクのコントラストがキレイだった。 うつむく気分を奮い起こして、神戸までコンサートに出かけて、 曲を聴きながら涙が出た。
バカだったけど、カワイイ子だった。 16年間、いっしょにいてくれてありがとう。
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昨日は、吉野山へお花見に出かけました。
詳細は http://memeharuka.blog53.fc2.com/blog-entry-41.html に綴っておりますが、
そんな行楽地で見かけるのは、やっぱりお犬様。
猫飼いのわたしですが、もとはといえば大の犬好き。
ワンを見ると嬉しくてついついカメラを向けます。
中千本あたりの民家の庭で横たわっていたワン。
死んでるのかと思ってギョッとしましたが、
気持ちよさそうにおなかが上下してました(^-^;)。
こちらはお寺で飼われているワン。
奥にもう一匹いましたが、うまく撮れませんでした。
休憩した喫茶店前で見かけたワン二匹。
蔵王堂で見かけたワン。
せっかくのお洋服がちゃんと撮れなくて残念。
オマケのカエル。
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旅行の土産を、うちの実家に持って行った。 実家へ行ってなにをするといえは、 ゴン太と遊ぶ、これに尽きる。 ゴン太はまもなく三歳になるシーズー犬である。 三歳であるから、当然わたしが嫁いでからやってきた犬である。 母は子どもの頃から犬を飼い続けてきたヒトで、 それゆえワタシも生まれたときから常に犬と共に生活していた。 でも、1996年4月17日、当時飼っていた16歳の犬・コロを安楽死させた。 今でも思っただけで涙が出る。 ペットロスと呼ぶのさえはばかられる、ヒトの都合で死なせた子だ。 ずっと大切に大切に可愛がっていた父はがっくり年をとったし、 誰もさすがにまた犬を飼いたいとは思わなかった。 道端で犬を見るたび、テレビで犬が映るたび、悲しくて目をそむけた。 一年たって、子どもの日にゼニガメを買ってきた。 動物のいる暮らしが戻ってきた。 '99年、わたしは結婚して、そのお祝いにと相棒のせんからハムスターをもらった。 久しぶりに哺乳類を飼うことになって、可愛くてしかたなかった。 色々つらいことが重なった時期で、この子・ローラには随分助けられた。 ローラが死んだ時には悲しくて悲しくて、仕事中も一人になるとボロボロ泣いた。 寂しくて、またハムを二匹、アヤとタチュを飼った。 やがてタチュが死んで、ろなちゃんから、らぼりんをもらった。 会社をやめてしばらくし、ひょんなことから猫を飼い始めた。 かりんさんである。 アヤも死に、かりんさんとらぼりんのいる生活は、 それまでゴタゴタ続きだった毎日を一変させてくれた。 うちの母は、かりんさんをうらやましがった。 少し前に、せんからもらったハムスターのトラを死なせてしまった母は もう動物は飼わない、と言っていたが、それでも身近に動物を見ると もう我慢がならなかったようだ。 コロを死なせたときのつらさを忘れられない父は反対したが、 孫のない寂しさもあったのだろう、子犬を買って来たのだ。 これまで雑種ばかり飼って来たが、年寄り夫婦が世話をするので 大きくならない愛玩犬を初めて飼うことになった。 それがゴン太である。 両親もわたしも、愛玩犬と身近に接するのは初めてだったが、 なんとも愛想よく、人間に愛されるために生まれてきた動物である。 それがよいか悪いか、事の是非はともかくとして、とにかく可愛いのだ。 一生懸命、全身全霊で、人間に愛されようとする姿はいじらしい。
すでにらぼりんも亡く、猫の気ままばかりに接しているわたしには、 新鮮に映るほどの愛想よさなのだ。 「かりんさん」と呼んでも見向きもしない、 ダッコしようとしたら身を翻して逃げる、つかまえれば噛む、 そんなかりんさんが好きではあるが、 足元にまとわりつき、大人しくダッコさせてくれ、黙っていつまででも撫でさせてくれる、ゴン太はやっぱり可愛い。 犬って、いいなあ。そう思うひととき。 なーんて、ほんとは「ウチの子が一番」なんだけれども。 |
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