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昨日、『猫と庄造と二人の女』の映画を、CSで観た。 (http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD25016/) これは、今年の一月に小説で読んだものだ。 当時の日記を以下に引用。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 谷崎の「猫と庄造とふたりの女」を読んだ。 なかなか面白かった。 リリーという猫に翻弄される人間たちを描いた作品である。 なにげなく、未読だったものを読んだにすぎない。 無論、猫好きだから、猫の出てくる小説を選んだのだが、 この小説、読み終えてほったらかしていたら、ダンナが目を留めた。 内田百間の「ノラや」のときと同じパターンだ。 あのときは、テーブルにほったらかしていたら、鉄道好きなダンナが 鉄道オタクの間で有名な内田百間の名に反応して、自分も読んだのだったが、 今回は、「あれっ、この本・・・」と言う。 「ほら、ぼくが前に言うてた、森繁久弥の」 ああ、と思い出した。 ダンナが有休のときに、ケーブルテレビで見ていた古い白黒映画だ。 わたしが帰宅したときに「今日、かりんちゃんソックリな猫が出とったで」 と言っていたのだった。 かりんそっくりと聞いて、へえ、と思ったが、 わたしが仕事に行ってる間に、またテレビばかり見ていたのね、と 少し憎らしく思ったりもしたので、「へえ」と適当に相槌を打ったきりだった。 そのあと、ケーブルの番組予告などで、ちらっとだけその映画の1シーンを見た。 「あ、これや、こないだ言うてたの」 ダンナに促されて見ると、なるほど、かりんによく似ていた。 で、その映画が「猫と庄造とふたりの女」だったらしいのだ。 「ああ、これのことやったん」 実はこの本を読みながら、リリーというその猫の性質や行動に、 やたらとかりんのそれを重ねてしまうことしきりだったので、 映画でのリリーが、見た目もかりんそっくりであったと知って なんとなくいい気分になった。 ダンナなど、早速さっきから、「リリー。リリーちゃん」と呼んでいる。 当人(当猫)は、もともと「かりん」という名にすら反応しないのだから、 リリーと呼ばれようがゴンタと呼ばれようが、知ったことではないらしい。 わたしの座椅子で、澄まして香箱座りしている。 うちの夫婦も猫を中心に据えた生活になってるかもなあ、と 思わず苦笑してしまった小説でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ とまあ、そういう経緯であったのだが、 今回ようやく、わたしの見れる時間帯に放映してくれたので 見ることができた。 ちゃんと見てみると、実際にはそれほどかりんと似ているワケではない。 アタマとシッポに柄があって、体は白、というのは同じで カラダの大きさもほぼ同じくらいだが、 アタマの模様は幾分そっけないし、カオはかりんよりふっくらと大きい。 目もかりんほど大きくなく、要するに猫らしい感じの猫だ。 シッポはたぶんかりんのほうが長い。 そして映画のリリィは原作のリリィよりは印象として随分愛想がよい。 映画の内容そのものも、筋の運び方が違うし (小説では手紙の内容から始まるのが、映画では時間の順を追って 視聴者にわかりやすく話を運んでいる) ラストも違う。 ラストが違うと、リリィという猫の存在意義も随分違ってくるワケだが 映像的なラストシーンとしては小説のラスト通りではややボケるのかもしれない。 観念的すぎて伝わりにくいということもあるし。 なので、映画は映画として、あれはあれでよかったのだと思う。 リリィを手放したあとの庄造が、リリィのトイレのニオイを懐かしむくだりがある。 妙にわかる気がして笑った。
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