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旅行の土産を、うちの実家に持って行った。 実家へ行ってなにをするといえは、 ゴン太と遊ぶ、これに尽きる。 ゴン太はまもなく三歳になるシーズー犬である。 三歳であるから、当然わたしが嫁いでからやってきた犬である。 母は子どもの頃から犬を飼い続けてきたヒトで、 それゆえワタシも生まれたときから常に犬と共に生活していた。 でも、1996年4月17日、当時飼っていた16歳の犬・コロを安楽死させた。 今でも思っただけで涙が出る。 ペットロスと呼ぶのさえはばかられる、ヒトの都合で死なせた子だ。 ずっと大切に大切に可愛がっていた父はがっくり年をとったし、 誰もさすがにまた犬を飼いたいとは思わなかった。 道端で犬を見るたび、テレビで犬が映るたび、悲しくて目をそむけた。 一年たって、子どもの日にゼニガメを買ってきた。 動物のいる暮らしが戻ってきた。 '99年、わたしは結婚して、そのお祝いにと相棒のせんからハムスターをもらった。 久しぶりに哺乳類を飼うことになって、可愛くてしかたなかった。 色々つらいことが重なった時期で、この子・ローラには随分助けられた。 ローラが死んだ時には悲しくて悲しくて、仕事中も一人になるとボロボロ泣いた。 寂しくて、またハムを二匹、アヤとタチュを飼った。 やがてタチュが死んで、ろなちゃんから、らぼりんをもらった。 会社をやめてしばらくし、ひょんなことから猫を飼い始めた。 かりんさんである。 アヤも死に、かりんさんとらぼりんのいる生活は、 それまでゴタゴタ続きだった毎日を一変させてくれた。 うちの母は、かりんさんをうらやましがった。 少し前に、せんからもらったハムスターのトラを死なせてしまった母は もう動物は飼わない、と言っていたが、それでも身近に動物を見ると もう我慢がならなかったようだ。 コロを死なせたときのつらさを忘れられない父は反対したが、 孫のない寂しさもあったのだろう、子犬を買って来たのだ。 これまで雑種ばかり飼って来たが、年寄り夫婦が世話をするので 大きくならない愛玩犬を初めて飼うことになった。 それがゴン太である。 両親もわたしも、愛玩犬と身近に接するのは初めてだったが、 なんとも愛想よく、人間に愛されるために生まれてきた動物である。 それがよいか悪いか、事の是非はともかくとして、とにかく可愛いのだ。 一生懸命、全身全霊で、人間に愛されようとする姿はいじらしい。
すでにらぼりんも亡く、猫の気ままばかりに接しているわたしには、 新鮮に映るほどの愛想よさなのだ。 「かりんさん」と呼んでも見向きもしない、 ダッコしようとしたら身を翻して逃げる、つかまえれば噛む、 そんなかりんさんが好きではあるが、 足元にまとわりつき、大人しくダッコさせてくれ、黙っていつまででも撫でさせてくれる、ゴン太はやっぱり可愛い。 犬って、いいなあ。そう思うひととき。 なーんて、ほんとは「ウチの子が一番」なんだけれども。
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