PROFILE
ぢる

猫飼い歴2度目。子供の頃、MIXの迷い猫を保護したのが1度目。長毛種は初めて。              

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我が家で生まれ育ったシマリスを老衰で亡くした悲しみから救ってくれたのがトムさんでした。

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お-ちゃん・・長男(ヒト 小4 ♂)トムさん・・・次男(ネコ ♂)

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意思表示カード


たまたま見たTvのニュースで言っていた。
日本初の臓器移植から7年が経ったと。

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2000年、コンビニに置かれていた臓器提供意思表示カードを1枚もらった。
裏には提供したい臓器を選択するようになっている。

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1.私は、脳死後の判定に従い、脳死後、移植の為に○で囲んだ臓器を提供します。
 (×をつけた臓器は提供しません)
  心臓、肺、肝臓、腎臓、膵臓、小腸、その他( )

2.私は、心臓が停止した死後、移植の為に○出囲んだ臓器を提供します。
  (×をつけた臓器は提供しません)
  腎臓、眼球(角膜)、膵臓、その他( )

3.私は、臓器を提供しません。

================

1、2の全てに○をつけ、日付と名前を記入し そしておっとのサインを貰った。
(家族の同意が必要)





人にはそれぞれな考え方がある。

死んだ後のことは自分にはわからない。
どうせ燃やして灰になるなら、使えるものは使ってもらったらいい。
それで助かる人がいるのなら、そんないいことはないと思う。
私はそういう考え方。







お-ちゃんのお友達が、去年の秋から入院をしている。
白血病。
幸いにも弟と骨髄と型が合ったそうで、今春に移植がされるらしい。
うまくいくことを願うばかり。






青春時代、骨肉腫で友を失った。

面会謝絶であっても こっそり病室を抜け出しては電話をくれていた。
辛くても痛くても いつもは元気のある声なのに、その日は違った。
「命が助かるのなら、足が無くなるのを選ぶべきだよね」
そんなようなことを言った。
そして17歳の誕生日に片足を失った。

それ以後、私の足は友の居る病院から遠のいた。
会いたいけれど、なんと声をかけたらいいのか・・
そんなちっぽけなことで 私は逃げていた。

それからどれくらい経ったかは忘れたけど会いに行った。
友は怒ってこう言った。
「なんで来てくれなかった!」と。

後悔した。

以後はまた以前のように足を運ぶこととなったけど、それも数ヶ月で終わりを迎えた。
会いに行かなかった日々を どれだけ後悔したことか。


お通夜で友と再会したとき、
今までの辛そうな表情ではなく本当に眠っているだけのような顔だった。

葬儀の時、友の両親を見ることができなかった。
子供を亡くした親というものは あんな姿になるんだと。。

友の母の代わりに看病をしておられた叔母さんが
「お骨を拾ってやって欲しい」と言ってくれた。
させて貰えるのならしたい。
でも、自分の祖父母のよりも先に友のものを拾うことになるなんて・・ね。


若くして逝った友は、長いことお墓に入らず自宅に居た。
お骨となった友に会いに行くとともに、母の様子も見に行っていた。
ちょっとふくよかだった母は、ひとまわり小さくなられたようだった。

入院中に貰った年賀状や友の思い出となるものは みんな母に渡した。
私が持っているよりも ご両親が持っているほうがいいだろうと思って。
そして、入院中に行方をくらませて病院中を大騒ぎさせたとき、
友は何処へ行っていたかなど
ご両親が知らないことを話しながら笑い、そして泪した。








友の場合、私はなにもしてあげることができなかった。
そんな気持ちがあるせいかな。
意思表示カードを持っているだけだけど、
それでもいつか、見知らぬ誰かの役に立てることがあるのなら・・・。


(社)日本臓器移植ネットワーク