昨日のことです。仕事帰りにスーパーに寄ろうとしたら、車道の端っこに黒い塊がありました。
ビニール袋かな?と思いました。そう思いたかったんですが、違いました。
黒猫の亡骸でした。
くーちゃんの姿が一昨日から無かったので、「まさかくーちゃんじゃ・・・」と思い、
引き返して確認しました。
くーちゃんじゃなかったんですが、とても立派な大きな若い黒猫でした。
車に撥ねられたのでしょうね。頭部からおびただしい血が流れ、
左半身を上に横たわっていましたが、眼球が飛び出していて、正視できない状態でした。
死後硬直でどこもかしこもカチカチになっていました。
多分、一昨日の夜撥ねられて、昨日の昼、私が見つけるまでそのまま放置されていたのだと思います。
可哀想でもあり、腹立たしくもあり、悲しくもあり。
撥ねたドライバーが道の端に寄せたのかもしれませんけど、
その後誰も市に通報するなりしてくれなかったのが悲しかった。
たかが猫が死んでいる。。。で終わってしまうのが悲しかった。
もっとも、この亡骸の惨状だと、近寄りたくもないのでしょうけど。
法律の中に、不特定多数の人が通る場所で、動物の亡骸を見つけた場合は、すみやかに通報するという義務が定められています。
それを知ってる人は少ないかもしれないけど、このままにしていてはいけないと思う人が、誰もいなかったの?という事に、がっかりしました。
なぜ通報しなければいけないのか。
公共の場所に亡骸が放置されるのは、衛生上よろしくない事に加え、不特定多数の人の心を傷つけるからです。
見ても平気な人もいるでしょうが、悲しんだり、嫌な思いをしたりする人も当然います。
電話一本するだけで良いのに・・・
スーパーの傍だったので、そのスーパーに行って、ダンボールを分けてもらいました。
また、ペーバータオルを買い、顔に被せてあげました。
その状態でダンボールに入れ、市の清掃局まで運びました。
回収に来るまでそこで放置するのは、いたたまれなかったんです。
清掃局で見た書類の名前は「廃棄物処理申請書」でした。
ここでも悲しかった。傷つきました。
改正された愛護法で、「命あるもの」と、やっと表現を変えたというのに、書類上は「廃棄物」。
全然意味がないじゃないですか。法律の表記を変えるだけでなく、書類の表題も変えてくださいよ。
廃棄物じゃないんです。命あるものなんです。
あの亡骸がずっと放置されていた事に対して泣きたいくらい悲しかったのに、ここでもまた悲しい思いをしてしまいました。
職員の人に運ばれていく黒猫ちゃんに、両手を合わせてその場を引き上げました。
こういう事をしたのは2度目。
去年の大型台風の時、管理してるマンションの駐車場で亡くなっていた仔猫ちゃんも、そこに運びました。
今年は、チョボとおたべの葬儀。そして、昨日は名も知らぬ、見ず知らずの黒猫ちゃん。
飼猫ではなさそうですが、丸々として、きっとご飯を上げてた人がいたのでしょう。
心配してるかもしれません。
それを思うと、更に悲しみが深くなります。
1日半ぶりに食べにやってきたくーちゃん。
目はしっかり開いていました。
思えば、くーちゃんだって、去勢してない♂ですから、
テリトリーもそこそこ広く、車の往来のある道だって行ってる可能性が十分あります。
でも、約12年間、大怪我をしても自力で治し、エイズが陽性であっても、ここまで生きてこられたくーちゃんは、運が良いのでしょう。
同じ猫なのに。。。くーちゃんの幸運には神様に感謝しなければいけないのだろうな、とつくづく感じました。