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2010年5月31日(月)。 2006年11月に、【ず〜ッと一緒にいようね(≧▽≦)】のニシジマさんから預かった、大事な大事な、小さいけど、大きく尊い命を授かって今世に生きていた、『リボン』と『ハニー』も合同葬されている慈恵院に行って来ました。
2006年12月に入り、家内で【パルボ(猫汎白血球減少症)】が蔓延。 どう考えても、私か同居人、人間が持ち込んでしまったウィルスです。 保護時から猫風邪症状が酷くて、良くする為にニシジマさんと子猫5ニャンをお互いの家に分けて、一時預かりをしながら症状が良くなり次第、ワクチン接種をして里親募集をする予定の、家で預かった3ニャン中2ニャンは、その尊い大事な命を救えませんでした。 無知過ぎた当時の私。 ワクチン接種をしてて、2歳を過ぎていた茶太郎&向日葵にも感染。 食欲下降から始まり、下痢・嘔吐・食欲不振の症状が家中のニャンズにアッという間に広がりました。 当時通っていた獣医さんに何度も皆を連れて行くも、【パルボ】の【パ】の字も出て来ませんでした。 無知な私は、血液検査をお願いするも、『白血球数(WBC)』の項目が空欄な事にも疑問を抱かず、ただただ獣医さんの対処療法と、自宅で手持ちの自然療法本を片手に、嘔吐・下痢中心のケアをする日々。 白黒ブチで鼻チョビ模様が可愛い『リボン』が12月22日の早朝に亡くなり。 ニシジマさんらと相談の上、背中にハート模様がある可愛い三毛の『ハニー』と、茶トラで他の2ニャンより一回り大きい『チョコ』(後の、我が家の第3猫にさせて貰った『虎次郎』)はニシジマさん実家方面の病院に緊急入院。 そこで初めて、【パルボ】に感染・発症していると判りました。 (院内に常備されている、『犬用検査キット』での簡易検査だが、しっかり【陽性】反応が出てました。) 即、隔離入院治療が始まったけど、三毛猫の『ハニー』は12月25日に亡くなりました。 虎次郎は3ニャンの中でも症状が軽かった事もあり、頑張ってくれて、12月27日の夜に退院、我が家に連れて帰る事が出来ました。 春のお彼岸とお盆時期には、ニシジマさんらの予定を聞いて、なるべく慈恵院にお参りに連れて行って貰う様にしています。 今回は、前日の『フリーマーケット@サマーランド』の日の午前11時頃、【腎不全】で闘病中だった『空』さんが亡くなり、荼毘に伏しに行かれるという事で、便乗させて貰いました。 ニシジマさんのBLOGを読んで知ったけど、『空』さんは保護してからの年数が浅い子だったんだね。 ニシジマさんの実家にお邪魔するといつも、居間の横の部屋やベランダに居る姿が何故か印象深い、可愛い子でした。 慈恵院へ行く為の集合時間に、大幅に寝過ごしてしまったせいで、ニシジマさんと母上様を慈恵院で待たせる事になってしまったけど、私は大急ぎで仕度をし、自転車と電車とバスと歩きで乗継ぎ、11時30分位に慈恵院に着けました。 それからお線香を買って、合同墓地にお参りに。 1人だったせいか、手を合わせながら泣きそうになった。 あんなに可愛くて、これから沢山の、楽しくて幸せな猫生が待っていた筈の『リボン』と『ハニー』。 未だに当時の事は、私の中で人生一番の後悔。 未だに悲しくて、悔しくて仕方ない。 そして『空』さん。 治療を沢山頑張っていたんたよね。 お疲れ様。 慈恵院で最期のお別れに間に合わなかったのが残念だけど、前日のフリマ帰りに実家に寄らせて頂いて、温かそうな毛布や綺麗な花に包まれた、穏やかな顔の『空』さんと会えて良かった。 穏やかで、幸せそうだったよ。 もう荼毘に伏されたと思うけど、どうか安らかに昇って行って下さい。 *写真1枚目は、慈恵院内でお線香やお花を買える、向かいの休憩室で寝言が盛大で存在に気が付いた茶トラ猫。 寝言の動画を撮っていたら起こしてしまい、『ニャンニャン』お喋りしながらお外に連れて行かれたと思ったら、お腹ゴロン〜して『撫でて〜』の大サービスの図。(* ̄ii ̄) *写真2枚目は、『チョコ』『リボン』『ハニー』が3ニャン並んだ唯一の写真。 (ジッとしてないから、動画ばかり撮っていた当時。) 3ニャン一時預かり中の当時の動画は、私のBLOGリンク【動画】3子ニャンコ達♪【保存版】から見に行けます。 スンゴイ可愛いから!(*>_<*) |
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