今週号の週刊女性だったかなあ?女性自身だったかなあ?
あの女の動物との関わりエッセイみたいなミニ3篇読んだ。
猫がイタチ食べたり 自然界のいとなみっちゅうか・・・心に残らんけん 流し読みしたとはいえ
はぁ?何が言いたいのか いっちょんわからんっちゃけど?
あれこれ自己弁護してないで「私は異常者です!」って認めれば?
猫に避妊や去勢手術絵をすることに罪悪感を覚える人は多い
でも選択肢としてそれを選ぶ人が多い。
彼らにとっては苦渋の決断だ。
でも選ばない人で産ませて子猫を殺す人間がどれだけいるか?
いないよ!
いたら異常だよ!
自分がきちんと面倒見れる猫って限られてるじゃん?
私は以前は完全室内飼いで5匹飼って毎日来る外猫9匹の面倒を見ていた。
近所に苦情を言われたり正直この生活が続くのは重荷だった日々・・・
家猫が3匹になった現在
彼らが7・9.10才になって これからの医療費とか介護する労力とか考えたらこれでいっぱいかな?って思う。
私もオットも年をとっていくし・・・気難しい子もいる。
でも目の前に弱ってる猫がいたらまた家に入れてしまうかもしれないけど・・・
避妊や去勢を野良猫に施術している人も不幸になる猫が増えたり 幸せな思いもしないで飢えて死んでいく子がいるくらいならって決断したんだ!
猫が生みたいって言うんなら?手術は嫌って言うんなら
生まれた子猫は生きていきたいって言わなかったのか?
死ぬのは嫌って言わなかったか?
生まれた子も生まれる前の手術も一緒ってか?
私は野良猫の1番を避妊手術した。
引き取りに行った時1番のお腹の中には5匹の赤ちゃんがすでにいたと獣医さんが赤い水分(血)の中にいる5匹のビニールパックを見せた。
1番が野良と知っているので私に相談することも無く処分されていった子達だ・・・
目をそらしてはいけない
私が自分で決めたことなのだから・・・
辛かった・・・
生まれてこれかった5匹に今でも罪悪感を持っている。
ずっと忘れられない。
仕方なかったと思っている。獣医さんを責める気は無い。
でも折にふれ思い出す。
生まれて一所懸命ママのお乳を吸う子達を見たら一所懸命生きてもらうよう努力するよ。
生きたいって言ってるんだもん。
だからお乳を吸ってるんだもん!
自分の飼い猫が産んで一所懸命育てようとしてる子猫をどうして崖から落とせるのか?
母猫は悲しくないと思うの?
うりちゃんママはみいの兄弟の黒猫が貰われていっていなくなったあと その子を探して鳴いて鳴いて・・・探して探して
自分と体重が変わらない(うりちゃんママは2歳で2キロなかったんで)みいの首をくわえて安全なところに運ぼうとした。
体重がそんなに変わらないのでちゃんと抱えきれなくて ガンガンガン ゴツンゴチンとみいの頭(重いので)が床にぶつかる音がした。
みいはじっとして嫌がらずママのいうなりでした。
母は育てたいのです!
産んだら育てたいのです!
本能ですから!
子はママが全てで そばにいたいだけ・・・
真砂子うぜぇ!
なんかねぇ 血統書付きの犬は室内で飼って雑種が入っちゃったその娘は外でしか飼わないとか・・・
そういうとこ理解したくもないし理解できないし・・・
毎日新聞より
◆直木賞作家の坂東眞砂子さん(48)=フランス領タヒチ在住=が、日本経済新聞に寄稿したエッセーで告白した「子猫殺し」。その内容をめぐって余波が続いている。タヒチを管轄するポリネシア政府は、坂東さんの行為を動物虐待にあたると、裁判所に告発する構えを見せている。20日から26日は、動物愛護週間。坂東さんが、真意を語りたいと毎日新聞に寄稿した。
◇坂東眞砂子さん寄稿…子猫を殺す時、自分も殺している
私は人が苦手だ。人を前にすると緊張する。人を愛するのが難しい。だから猫を飼っている。そうして人に向かうべき愛情を猫に注ぎ、わずかばかりの愛情世界をなんとか保持している。飼い猫がいるからこそ、自分の中にある「愛情の泉」を枯渇させずに済んでいる。だから私が猫を飼うのは、まったく自分勝手な傲慢(ごうまん)さからだ。
さらに、私は猫を通して自分を見ている。猫を愛撫(あいぶ)するのは、自分を愛撫すること。だから生まれたばかりの子猫を殺す時、私は自分も殺している。それはつらくてたまらない。
しかし、子猫を殺さないとすぐに成長して、また子猫を産む。家は猫だらけとなり、えさに困り、近所の台所も荒らす。でも、私は子猫全部を育てることもできない。
傲慢さで猫を飼っているなら子猫を殺すのも「私の傲慢さ」と言えば許されると思っているのか?
「だったらなぜ避妊手術を施さないのだ」と言うだろう。現代社会でトラブルなく生き物を飼うには、避妊手術が必要だという考え方は、もっともだと思う。
しかし、私にはできない。陰のうと子宮は、新たな命を生みだす源だ。それを断つことは、その生き物の持つ生命力、生きる意欲を断つことにもつながる。もし私が、他人から不妊手術をされたらどうだろう。経済力や能力に欠如しているからと言われ、納得するかもしれない。それでも、魂の底で「私は絶対に嫌だ」と絶叫するだろう。
もうひとつ、避妊手術には、高等な生物が、下等な生物の性を管理するという考え方がある。ナチスドイツは「同性愛者は劣っている」とみなして断種手術を行った。日本でもかつてハンセン病患者がその対象だった。
はぁ?ナニガナンダカ?
他者による断種、不妊手術の強制を当然とみなす態度は、人による人への断種、不妊手術へと通じる。ペットに避妊手術を施して「これこそ正義」と、晴れ晴れした顔をしている人に私は疑問を呈する。
そんな人の心の痛み・葛藤がわからないのか?
エッセーは、タヒチでも誤解されて伝わっている。ポリネシア政府が告発する姿勢を見せているが、虐待にあたるか精査してほしい。事実関係を知らないままの告発なら、言論弾圧になる。
誤解ではなくあなたのエッセーからみんなが受けた感想でしょ?
誤解されたくなければ直木賞作家なら書き方があるだろうに・・・
言論弾圧って・・・
生きてる子猫を生きたまま殺すことは(しかも傷を負って苦しませたあげく)立派な動物愛護法における犯罪です。
犯罪を告発し批判することは言論弾圧ですか?
◇解説…動物の生と死、多角的議論を
坂東さんは「子猫殺し」を発表することで、愛猫に抱く葛藤(かっとう)を伝えるとともに、過剰なペット依存社会に一石を投じ、動物の生と死について再考を促そうとした。しかし現状では、多角的で本質に迫る議論には発展していない。
「雌猫3匹が産む猫を、がけから放り投げている」。この強い表現は、猫への愛情と罪悪感が希薄な印象で、読む側の不快感につながった。言葉を扱うプロだからこそ、意図を正確に届ける工夫がもっとほしかった。
また、猫への避妊手術は、坂東さんの挙げる野良猫対策とは異なる側面もある。野良猫の7割以上がウイルスを持っているといわれる猫エイズの予防だ。治療法は確立されていないが、体液の接触感染が主な原因で、不妊・去勢手術を施してけんかや交尾の機会を減らせば防ぎやすくなる。
現代社会の猫や犬は、単なるペットではなく、人生の伴りょとして扱われる。坂東さんに賛同する人は少ないだろう。ただ、私たちが「動物にとっての本当の幸せ」を知るすべはない。動物の飼育を「自分勝手な傲慢(ごうまん)」と考えている人はどれだけいるだろうか、人間に向かうべき愛情が動物に偏って注がれていないか……。坂東さん、そして社会が抱える病理を多数派の意見で押し込めてはならない。【鳴海崇】
◇子猫殺し 坂東さんが日経新聞8月18日夕刊でエッセー「子猫殺し」を掲載。飼っている雌猫に避妊手術をせず、子猫が生まれるとがけ下に投げていることを明らかにした。日経にはメールと電話で延べ1497件(今月19日現在)の意見が寄せられた。「残酷で不快」「動物愛護の精神に反する」「生命を軽視している」「避妊手術と、子猫を殺すことを同列に論じるのはおかしい」など、大多数が批判。少数だが「納得できた」「これからも生と死について書き続けて」との賛意もあった。