茶々です。
一年前の11月2日の朝、まだ暗いうちに彼女は旅立ちました。
叫ぶように泣いてしまったあの日から、早いもので一年が過ぎました。
今、改めて思い出すのは、4年前の夏の終わり
駐輪場での出会いの場面です。
たった3年しか一緒に過ごす事はできなかったけど。
一日の大半を横になって過ごしていました。
食事と排泄の時以外は立ち上がる事はほとんどありません。
痩せた身体、点滴の包帯。筋肉が弱っていたので、猫らしいジャンプなども見る事はできませんでした。
亡くなる2日前の朝、立派なウンチをしました。
今、考えるとソソをしたくないという
彼女なりの考えだったのかも知れません。
そしてまる2日、水以外何も口にする事がなく、
どんどん身体を冷やして「旅立ちへの準備」をたんたんとこなし、
夜明けを待たずに彼女は行ってしまいました。
前の晩、ガタンという音を聞き慌てて行ってみると、
トイレの中で起きあがれずに倒れていました。
もう無理してトイレを使わなくても良いんだよ。と、声をかけ
身体を起こしてやると、再び自分の力で歩き、布団の上に横たわりました。
今回はもう駄目なのだと感じました。
このままずっと側にいて、身体を摩っているつもりでした。
ところが、彼女の答えは「NO!一人にしてくれる?」でした。
プライドが高いのです。
ぶざまな姿を見せたくないのだと思いました。
彼女の意思を尊重して私は自分の寝室へ行きました。
もちろん一睡もできないまま。
夜中に、ガタガタと音がしましたが、行きませんでした。
彼女の最後の望みですから。
この日私は熱を出しました。寝室のドアの向こうの彼女の気配を追いつつ過ごした重苦しい時間。ふっと、楽になれた瞬間がありました。ああ、彼女が今、旅立ったのだと感じました。
朝はまず頭を撫でて、「おはよう」の挨拶が日課になっていましたが、
この日は「ありがとう」と言いました。
それから、もう二度と動かなくなった彼女の身体を何度も何度もなでました。
ピンク色の可愛いお数珠をはめて貰い、火葬していただきました。
小さなお骨を主人とともに骨壺に納めました。
どうしても、すぐに天国へと見送る気持ちにはなれなかったので、
納骨はせずに家に持ち帰えりました。
お腹に抱いた骨壺は、まだ、ほんわかとしたぬくもりで、
生前の彼女のぬくもりに似ていました。
彼女には、亡くなってからも、いろいろな事を教わった気がします。
彼女のいなくなった日常をどう生きていけばいいのかわからずに泣きながら過ごした日々。
彼女の写真と対話する事で答えを見つけ出す事ができました。
私の感情をむき出しにした心を、ただ黙って見守ってくれました。
生前使っていたベットやトイレなどの生活道具を片付けた部屋には、24時間365日彼女のために使っていた時間から解放された、ぽつんと独ぼっちの自分がいました。
楽になれたのは、彼女と出会う前の自分がちゃんと1人でも生きていた事を思い出せたから。その事を思い出せてからは、ちょっぴり自信を取り戻す事ができました。家族に心配をかけまいと、表面上は立ち直ったふりをしているつもりでしたが、あとから聞くとひどい状態だったようです。
一年たった今でも沢山の涙がこぼれてしまうけど、彼女にもらった大切な時間を無駄にしないで生きていこうと思えるようになりました。
彼女はいつだって側にいてくれるから。その事がわかったから。
少し前に、偶然
『keimamablog』の『kei』さんからステキなサイトを紹介していただきました。心がほっこりと暖かくなるアニメーションがあります。どうぞ覗いてみてください。
制作されたのは2004年のとても暑い夏。
ちょっと古い作品なので、沢山の方が目にしているかも知れませんが、
まだの方はぜひ!
「WALKING TOUR」←こちらから。
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