ライフボート友の会StaffBlog

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PROFILE
ライフボート友の会

行政によって殺処分される犬猫を救う活動をしています。

代表 吉田

ライフボート友の会の代表。

事務局長 金子

事務局の姉さん的存在。

小野寺

事務局兼管理部門担当。

大塚

事務局兼管理部門担当。無類の犬好き。

宮本

管理部門担当。こちらも犬好き。

猪股

管理部門担当。犬の面倒や営繕は彼の仕事。

的場

今年から仲間になりました。管理部門担当。

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Jun 20, 2005
ライフボートのサポーター ボラバイトさん。
ボラバイトと言う言葉は造語で、
「ボランティア」と「アルバイト」を足したモノです。
手間暇からすればお金は少々で、ボランティアの仕事と言った方が分かり易い位です。
無論好きでなくては出来ない仕事でもあり、ライフボートの趣旨に賛同して頂いた上、
手間暇を提供して下さっていると言った方が正解でしょう。
私達からすれば、隔離と飼育を愛情で包んで下さる心強いサポーターと理解しています。

感謝する事も勿論ですが、「ビタミン愛」と言う、
最強の力が良い仔猫の成長に導いてくれています。

私達がお願いしているボラバイトには2種類あります。
ビギナーコースと授乳コースです。
今年はビギナーコースの方が非常に多数ご参加下さり、
3匹から5匹程度の仔猫グループがそれぞれのご家庭に
数週間のお出かけをしています。
300グラムの仔猫が500グラムを越えて帰宅すると、
大きくなって仔猫らしくなっているのが印象的で、
ボラバイトの皆さんに可愛がって貰い、愛情を沢山頂き、
お世話をして頂いている姿が手に取る様に分かります。
ボラバイトさんにお願いした仔猫達は、
人にとても慣れ、甘え方も全然違います。
やはり人の手が触れる事が一番大きいのだと思います。

将来の夢ではありますが、ボラバイトさんが50人も来て下されば、
200匹位の仔猫を毎月今以上に救える計算になります。
もっともっと沢山の方に参加・賛同して頂いて、
大きな救命ボートになる事が、ライフボートの目指すモノで、
私達の夢でもあります。

このライフボートの仕事は、皆さんに趣旨を理解して頂く事で支えられ、
頑張って行かれる由縁でもあります。

全国でこの仕事が展開されれば、きっと殺処分される犬や猫は、
限りなくゼロに近付く夢に向かうのだと思っています。

ボラバイトさんの仕事のお手伝いは、ライフボートの活動の柱でもあり、
最強のサポーターである事は間違いありません。
社会の常識が無駄な仔猫を増やさないモラルになれば、
私達の救命ボートは要らなくなる可能性もあります。
本当にボラバイトとして活動して頂いている皆様に、
心から感謝とお礼を申し上げます。

そして一人でも多くの方の愛の手をお待ちしています。
1週間から2週間お時間が取れる時に、
時々お手伝いして頂けると嬉しいです。
どうぞ宜しくお願い致します。

May 21, 2005
シェルター猫ゆうちゃんの一生。
本当は今日は月曜日ではないのですが、特別に書きたいと思います。

ゆうちゃんと呼ばれる、オス8才の猫は、ダイちゃんとメグちゃんの3匹兄弟でした。
野良猫雪ちゃんの子供としてシェルターで生まれました。
シェルターにはC小屋と呼ばれるプレハブ小屋があり、
シェルター在住で特定の部屋を持たない自由な成猫達がいつでも眠れ、
いつでも食事や水が摂れる部屋となっている。
当初シェルターに保護する猫の数は少なく皆自由で、
野良猫たちも餌を求めてC小屋にやって来ていた。
その為小屋の扉の一部にいつでも出入り出来る様、
小さな出入り口を作っていた。
やって来た野良猫達は全員保護し、去勢避妊手術をして自由に放しても、
多くの猫達がそこには住み着いていた。

雪ちゃんもそんな野良猫の一人だったが、
保護した時には既にお腹が大きかった為、そのまま出産させた。
雪ちゃん自体があまり体が大きい猫ではなかった為、
3匹の仔猫しか出産はしなかった。
美形でロシアンブルーの毛色そっくりのオス2匹と、
長毛のグレーのメス1匹の子供達は、
それぞれダイちゃん、メグちゃん、ユウちゃんと名付けられた。
無事に3匹が大きくなり、雪ちゃんは子供達に餌場を譲ったのだろう。
シェルターからいなくなってしまった。
ダイちゃんとユウちゃんは全く同じ毛色でグレーに白が入った、
スタイルの良い猫だった為、見分けを付ける為に違いを探した。
するとユウちゃんは顔の口元の右が白く、
ダイちゃんは左側が白かったので、右白の子がユウちゃんで、
左が白かったダイちゃんは性格がおおらかだった為ダイちゃんとなった。
ダイちゃんは、夜外に遊びに出掛けた時、車に轢かれて1年で星になった。
それからシェルターを囲んでいるフェンス(1500坪の敷地がある猫エリア)に猫返しを作った。
1500坪もあるくぬぎ林なのだから、外へ出なくても良さそうなものだが、
オス猫だった為、興味を持ってしまったのだと思う。
ユウちゃんにはダイちゃんの分まで生きてくれる様祈り、
その時の悲しさは今でも忘れられない。

ユウちゃんも仲良し兄弟のダイちゃんがいなくなり、寂しかったと思う。
そして3年後に又シェルターにお腹の大きな母猫がやって来て、
これも保護して出産させ、子育てをさせた。
そしてその生まれた子供の中にいた、やはりオス猫のポポちゃんとユウちゃんは出会った。
ポポちゃんはダイちゃんと性格がそっくりだった。
ちなみにポポちゃんはしっぽがタンポポの綿毛の様に丸い可愛らしい形から名付けられた。
ユウちゃんとポポちゃんは日中外で日向ぼっこをする時も、
部屋で寝る時も昼も夜もどこへ行くのも一緒で、
これ程仲の良い2匹を見た事もない位仲良しだった。
「片方でもいなくなってしまったら、残された方は可哀相だね」
…日頃から話題になる程、この姿は誰が見ても微笑ましい光景であった。

私達のシェルターは猫エリアと犬エリアがある。
フェンスで囲み分けをしてあるが、
時々興味ある猫はフェンスの猫返しの隙間にある、
木や屋根を伝って犬エリアに進入し、犬に追いかけられたりしていた。
それでも事なきを得て15年を越えていた。

5/21朝、犬エリアの犬舎の中で、ユウちゃんは固くなっていたのをスタッフが発見した。
どうして犬舎(囲いの中に猫が入らない様に天井まで金網をしていた)に入ったのか?
犬エリアに進入して、自由にしている犬達に追われて、
犬舎のフェンスにかけ登り、天井の金網とフェンスの隙間から中へ逃げ込み、
犬舎の中で又犬に囲まれ、事故は起きてしまったのだろう…

充分気を配り、日々生活している中で、
基本的に動物は夜行性で、私から見て夜はどうしても盲点になりがちである。
犬の中にはやはり野良犬だった犬や、噛み癖があったり、
性格も色々だが、唯一共通して人間には忠犬であり、
犬とのそりが合わない者のグループが幾つかの犬舎組になっている。
時々野鳩を射落し食してしまう犬も中にはいるので、
その事を猫達も知っている為、普段日中にはこの様な危険性は
誰も考えていない事であった。

考えられない事から事故は起きるもので、
実際に経験をしてしまってから、あまりのショックで夜眠る事が出来なかった。
犬や猫達にとって、シェルターは楽園な筈なのに、
楽園の中で怖い思いをさせてしまって、悔いを残している。

ただただ今はユウちゃんには安らかに天国へ行って欲しいと願うばかりである。

突然命を奪われたユウちゃんの8年の一生は終わってしまった。
残されたポポちゃんは淋しげに面会室のソファでユウちゃんを待っている様に見える。
充分気遣いをしてあげたいと強く思う。

そしてユウちゃん、怖い思いをさせてしまって、
そして助けてあげられなくて本当にごめんなさい…
美形な顔に似合わないユウちゃんのハスキーな声が、
私の耳に残る、長い長い夜になってしまった。

May 16, 2005
多頭飼育。
群れで暮らす動物と単独行動で気ままに生活する動物、
犬と猫を扱う様になって、飼育の難しさを痛感しているのは猫である。
特にこのシーズンは仔猫を多頭受入する為、病気の感染が大きな問題となる。
猫の場合、基本的には群れない分菌(ウィルス)が強く、
仔猫にとっては命取りになるケースも多く、
早期発見・早期治療が重要になる為、気が抜けない日々となる。

今日もボラバイトさんから4日前に帰って来た、
グレーミケちゃんに手を焼いていた。
ミルクも飲まない・餌も食べない・寝ているばかりで体重が増えない…
お尻を刺激すると消化不良の水便をする。
補液をし、下痢止めを飲ませ、少量を何度かに分けてミルクを飲ませる作業の繰り返し。
一日二日と開放に向かう気配がないと心配にもなる。
しかし根気強く続ける事が何よりの治療と飼育であり、
段々水便の量も少なくなり、体重も5グラムとか少しずつではあるが増えて来た。
そして四日目の朝、飼育棟に行ってみると、
グレーミケちゃんが同室の仔猫とじゃれていた。
急いで餌をあげるとすぐに食べ始まり、ミルクも飲んだ。
…やれやれ…と言った感じだった。
一度快方に向かうとこれが又早い快復力でぐんぐん体重を増やす。
一日に40グラムも大きくなり、体もしっかりして来て、
同じ部屋の仔猫達と遊んでいる。
グレーミケちゃんは何とか救える事が出来て、ほっとしている。

こう言うケースは嬉しい例ではあるが、
病気で体力を落とすと免疫力が弱くなり、
鼻炎や皮膚病など多頭飼育故に次の病気に感染してしまう事も多い。
多重感染で猫の病気を一通り経験して途中で死に至るケースもある。
何重にも予防や隔離に気を遣っても、
人間(スタッフや里親希望の方)が病気を媒介する事も少なくない。
日々里親さんに譲渡をしなければ、飼育棟が満杯になり、
次の仔猫を受入出来なくなってしまう。
消毒や手洗いを充分気を付けてはいるものの、
やはり”可愛い〜!”と仔猫に手を伸ばしてしまうのは、
里親さんもスタッフも同じで、大変難しい。
健康でしっかりとした仔猫を貰って貰う為、
日々の戦いは今日も続く…

May 09, 2005
育児放棄されたシャムちゃん。
母猫から引き取った時、シャムちゃんの体重は120グラムしかなく、
お腹ばかり大きく、前足の親指の2本は壊死していて、
茶色くぶら下がっていました。
とても発育不良で健康とは程遠い仔猫でした…。

成長出来るかどうかと言えば、正直確実に死に向かっている状態で、
治療やケアをして生かすには忍びない程の体格でしたが、
生きようと頑張る意欲は充分に感じられ、
私も助けられたら助けたいと言う気持ちは充分にありました。
しかし生かす事で末路を想像すると厳しいものもあり、
選択、決断と言うものの難しさに苦悩し、
結果決められず、最後の最後まで頑張らせてしまう自分自身の現実があり、
猫の子と言えども命を預かる事の厳しさが、
何年この仕事をしていても、問われる課題であり、
このシャムちゃんの場合も例外ではありませんでした。

シャムちゃんは1日10グラム位でも体重が増えて、
元気になって来ているみたいでしたが、お腹ばかり大きい印象は変わりません。
けれどふと無事大きくなったこの子を想像してみたりして、
確実に死には向かっていないよ!と言われている気がしました。
布で排尿排便を促すと、勢い良くオシッコも出る様になり、
下痢(消化不良)をしながらも少しずつ大きくなってくれると、
本当に成長出来る夢を見てしまうから不思議である。
朝になると「早く行ってあげないと…」と急いだりする。

しかし5月9日、やはりその夢は幻であった。
朝から具合が悪く、見守っていたけれど、夕方静かに息を引き取った。
「良く頑張ったね」としか声を掛けられない悔しさと、
最後までお互い良くやったと言う無理矢理の納得と、
これでシャムちゃんは良かったのだと自分に強制的に言い聞かせながら、
苦しまずに死を迎えたシャムちゃんは、
きっと努力した分天国で元気に大きくなれる事を信じ、
念じるばかりだった。

シャムちゃんは190グラムになり、40日間の短い命だった。
きっと成長出来なかっただろうと思う事で、
決断・選択出来なかった自分を認めるのではなく、
それぞれのケースに応じての判断をどう決断出来るか?
少しでも方向を間違えない努力をする事と、
勉強を重ねる事がシャムちゃんに教えて貰った自分への試練として受け止めたい。

May 02, 2005
生命。
育児放棄した母猫から8匹の仔猫を引き受けた私は一生懸命である。
成長出来る以前の”生きられるか?”から始まるこの仕事は、
チューブで定期的にミルクを胃に入れる事から始まる。
気管に誤ってチューブを入れない様神経を使いながらの作業だが、
生きるか死ぬかの選択しかない厳しい仕事である。

1日4〜5回仔猫の意思とは関係なくミルクを飲まされる仔猫にとって、
私は何なんだろうか?と不安や悲しさに見舞われる事もある。
けれど「お母さん、ミルク頂戴!」と泣き叫ぶ声に変わる時、
”命””生きる”という生命を実感するものである。
やっと認めて貰えたと言う”お母さん”を嬉しく思いながら、
生きて欲しいと願いにも似た希望が、
日に日に増して行く体重に後押しされる。
少々自分が体調を崩しても、仔猫の為にエネルギーを注ぐ、
生きると言う事に向かって前に進む日々の成長を実感出来れば、
生命を救える一歩となる。

死を見届けるのも大変だけれど、生きようとする生命力に出会うのも、
これ以上に大変である。
一年間を通して活動をして行く中、
散々手をかけ、生きようと必死になっている仔猫に情が移り、
里親に出せなくなる事も多々あり、
スタッフにダメ出しをされながら、今年も又同じ道をスタートさせている。

8匹の仔猫達は頑張ってくれるだろうか?
生きようとする生命力と、頑張れと願う気持ちを合体させて、
一生懸命努力したいと思う。

Apr 25, 2005
大好きなツウニィー。
私は犬派でした。
猫は自分勝手だし、ぐにゃっとした体が気持ち悪く、
目も爪も怖かったのです。
18年前、段ボールが積み上げられたブルーシートの下で、
仔猫の鳴き声がしました。
どこにいるのか外からは分からず、
従業員の人達でブルーシートの段ボールの山を上から崩す事になりました。
最後の一段の隙間から出て来たのがツウニーでした。
ネズミの大きさ位の真っ黒な猫で、
母猫が移動の時下に落としてしまい、
連れて行く事が出来なかったのでしょう。

急いでタオルに包み、猫用ミルクを買い、
どうするか初めてで分かりませんでしたが、
とにかくスポイトでミルクを飲ませました。
どの位飲んだか分かりませんが、助からないだろうと思っていましたが、
丁度家にあったケージに入れ、段ボールのベッドに暖かくして入れました。
ジーっと私の目を見て何かを言っているみたいで、
一晩一緒にいました。
朝方「ミュー」と言う鳴き声に気付いたら、
私にミャーミャーと鳴きます。
とにかくミルクをあげました。
おしっこやウンチを出させるなんて知りませんでしたし、
何も分かりませんでしたが、日々元気になり、
餌も食べてくれ、すっかり私は母猫になっていました。
元々生命力がある子だったのでしょう。
病気もせず、すくすく大きくなり、私も猫の勉強をし、
無事成猫になってくれました。
初体験だったので、この子がメス猫だと思っていたので、
「ツウニー」(バージンと言う意味です)と言う女の子の名前にしましたが、
実は男の子でした(苦笑)
でもツウちゃんと言う愛称で今まで通して来ました。

18年間で病院に行ったのはたったの2回だけでした。
去勢手術とノミ駆除だけで、本当に手のかからない親孝行なツウニーも、
3月頃から具合が悪くなり、今は骨と皮になってしまい、
満足に動けなくなりましたが、トイレだけは頑張るので、
それは本能と言ってもつい手を貸してしまいます。

いよいよ最終ステージを迎えようとしているツウニーを見ていると、
エピソードの多かった思い出が昨日の様に蘇ります。
何て素敵な猫だっただろうか…
言葉を持った人間の様な、私にとって支えだった事も、改めて感じるのです。
猫と言っても気持ちを伝えたり、伝えられたり、
本当にツウニーに会えたお陰で、今私はシェルター70匹の猫のお母さんです。
猫は可愛いと思う事は当然ながら、今私は根からの猫派です。
勿論犬も大好きですが、猫の賢さは猫を知らなかったら一生理解出来なかったかと思うのです。

あとどの位生きられるか分かりませんが、
最後の時間を出来るだけ共有して語り合いながら送ってあげたいと思っています。
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Apr 18, 2005
エド、星になる。


江戸川の土手に放置されていた、
聴力も視力も失っていた長毛の薄茶の犬。
”エド”と言う名前は、江戸川のエドから付けられました。
おとなしい、優しい目の犬でした。

何とか目だけでも見える様にしてあげたいと言う思いから、
「エドに光りを」と言うキャンペーンを行った所、
多額の援助金が集まり、目の権威と言われる先生に手術をして貰える事となりました。
集まったお金の話を聞いて先生も両目を手術出来る様、
手術代も応援して下さり、皆の希望が大きな声援となりましたが、
残念ながら手術をしても回復する状態ではなく、
諦めるしかありませんでした。
可能性を信じて立ち向かった事実は人々の暖かさに触れ、
望みが叶わなかった残念さも打ち消した様に思いました。

余生をシェルターで世話をしようと決心するのに時間はかかりませんでした。
あれから3年、ピョンピョン跳ねながらの大好きな散歩も発作で行かれなくなり、
柵の中での生活になってしまいましたが、
頭を撫でられたり、触られたりすると安心するのか、
頭を手に押しつけて来たりしました。
エドなりにシェルターは楽園であったと思います。

命あるものは皆死を迎えますが、その死に直面した時は、
私達の何をしてあげられたかが問われるのかもしれません。
大勢いる犬や猫1匹1匹に対する触れ合いは何分にもなりません。
小屋の掃除、ウンチ拾い、餌やり、シャンプーなど…
次から次へと仕事に追われ、時間に追われる日々ですが、
何かをしてやるゆとりだけは作らなければいけないと痛感しています。

エドは星になってしまいましたが、私の人生の中で忘れる事のない、
大切な1匹である事は間違いありません。
最後にシェルターのスタッフの人達に、
エドの為に何日も心配して、看病してくれてありがとう。
エドに代わり、心から感謝とお礼を申し上げます。

Apr 11, 2005
母は偉大です。

シェルターも5年目を迎え、毎年この時期になると、
もうそろそろ今週はいるのだろうか?と、
日々仔猫が保健所に持ち込まれるのを待ってしまう。
保健所に持ち込まれないのが一番なのだが…矛盾してしまう。

今年は出産などが遅いらしく、情報が来ない。
年々犬や猫の捨てられる事が社会問題になり、
犬や猫を無駄に捨てない、産ませないと言う教育が普及しつつある。
保健所に持ち込まれていないと言う情報は良い傾向だと分かっているが、
仔猫の姿がシェルターで見られないのは少々寂しい。

こんな折り、シェルターでお産猫を3匹保護する事になった。
今にも生まれそうなミケちゃん、
確かにお腹に仔猫はいるがいつかな?と思われるシャムちゃん、
そして今にも生まれそうな主ちゃん(白猫)である。
今にも生まれそうだったミケちゃんは3/25に5匹の仔猫を産み、
みんなすくすくと育っている。
今2週目で300グラム位で、お乳も充分足りているらしく、
平均的に5匹共大きくなっている。
後のシャムも主もそう遠くない出産に向けて、
今や産婦人科病棟化した事務所の猫ルームは、
毎日入れ替わり立ち替わりスタッフが様子を覗き、声を掛けている。
餌も暖かさも充分貰って、きっといい仔猫を産めるに違いないと思っている。

それにしても130グラム位で保健所に持ち込まれ、
それを育てた経験から言えば、2時間おきの授乳に始まり、
オシッコを出させ、ウンチを出させ、体重が増えた増えないなど、
離乳するまで仔猫も大変、人間においてはヘロヘロ状態(苦笑)
500グラム位になるとほっとしたものであり、
母猫が育てればすくすく育つ有様を見て、
1ヶ月位500グラムになるまでお乳を仔猫に飲ませてから、
私達の所に来てくれれば、もっと多くの命を救えるのに…
と200グラム位で保健所に持ち込む人に言いたい。
…とは言っても私達の救える保健所での話だけれど。
この事から、今私達にご協力頂いている保健所も
「必ず助けますからもう少し大きくなるまで母猫に育てさせて」
との運動が始まっている。
何と言っても母は偉大だとしか言えない。

Apr 04, 2005
代表 吉田です。
3月25日に5匹の仔猫を出産した三毛のお母さん。
すっかり子育てが板に付き、余裕綽々の様子です。
たまには一人仔猫達から離れ、昼寝をしています。
仔猫も日に日にしっかりして猫の子らしくなり、
目も開き、遊んだりもしています。

そんな出産10日後の朝の出来事です。
いつもの様にご飯を持って行くと、
下段のハウスに仔猫が一匹もいません。
(下段のハウスの中にいつも全員一緒にいました)
ふと上段のハウスを見ると、全員スヤスヤ眠っていました。
どうやらお引っ越しをした様です。

猫は習性で必ず成長するまでに何度か引っ越しをすると聞いていましたが、すっかり重くなった仔猫達を全員くわえて二階まで登ったのだと分かった時は感激しました。
偉大なる母・三毛お母さんに拍手です。

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