『パピィ』
我が家では(すでに解散したけど)父の事をそう呼び、他の家族の事もそういう風なあだ名で呼び合っている。
クマオが亡くなってすぐ、私はパピィの声が聞きたくなった。
まぁ朝の4、5時に起きてる人なんてパピィ位だし、それにオラより人生経験が長いから、当然その間に亡くなってしまった人や失ってしまった人などの話を聞いてみたくなったからだ。
でもその日は電話機を横に置いて、ダイヤルを押して…までは出来たのだが、結局電話を掛ける事が出来なかった。
私は、昔から何かあった時に電話が掛けられないようだ。
だからクマオを抱いて、独りで泣いた。
火葬も終わり、それから更にしばらくしてから、やっとパピィに電話を掛ける事が出来た。
たまにしか話さないが、やはり、電話で話し掛けた最初の一言、二言で何かの違和感を感じたらしく、その事を後で言われた。
初めは、「ι(´Д`υ)アツィー」だの、「郵政民営化の話」などをしていたのだけれど、何となく、もうすぐパピィから
「相変わらずクマオは足元でゴロンと寝てるのか?」と聞かれるような気がしたので、私から「クマオは亡くなって、火葬して頂いて、今はお骨になって、ウチにいるよ」、と伝えた。
父は電話口で泣いていた。
泣きながら、
「何でもっと早く教えてくれなかったのか」とか言われた。
私はパピィにこう答えた。
『クマオが亡くなったのが信じられなくてねぇ。本当に何も考えられないし、分からなくて、それで電話しようかと思って番号も押したんだけど、そしたら今度は涙が止まらなくなったから止めたよ…』
その後、電話の声を聞き(何で電話だと泣くんだろうね?)、私も大泣きしたけど、パピィも同じ位泣いていて、でも、それでも父だからなのか、声を押し殺して泣いていた。
そして、「クマオが…クマオが…」と言っていた。
と、ここで終わるとイイ話? なんだけど、パピィには少々変わった一面もあるので、それもオマケに書いとこ(笑)
(初めてのクマオ画像)
ウチのパピィはよく分からない人で、私はこちらに来るまでの間よく虐待されていた(以下に記載したモノ、これらを虐待と呼んでいいのかは分からないが(苦笑))
殴られたり、蹴られたり、真冬に水風呂に1時間服を着たまま浸けられたり、車で出かけた途中で急にムシャクシャして私達を降ろして「歩いて帰れ!」(当然財布は没収)などと言う人だった。
そのうち私も喧嘩が出来るようになった頃には、今までの分のお返しにとばかりに、パピィの寝込みを襲ったり、鉄パイプで玄関を叩き壊したりもした。
そうすると今度は逆にレンガを投げられたり、包丁で刺されそうになったり、一升瓶で頭を殴られたりもした。
(まぁ世の中にはもっと酷い事をされていた人々もいるから、私はまだマシだったのかな)
そんなパピィと離れて、早10年。
今ではほとんど逢う事もなく、
時々電話を掛ける程度だ。
そんなパピィが、クマオが亡くなった事で、しばらく泣き続けていた。
少し驚いたが、
「昔から涙もろい人だったな〜」とか、色々と思い出した。
『動物は人間よりも寿命が短いからいつか必ず先に死ぬ、って事は解るんだけど、どうしてクマオが死んだんだろうな…』
と尋ねると、パピィはこう言った。
「昔、○(オラの名前ね)が野良猫を拾って来て|゚Д゚)))コソーリ!!!!飼おうとした時があっただろ?
その時すぐに反対したのは、○がさっき言ったように
”動物は必ず人間より先に死ぬ”からだよ。
俺も子どもの頃、猫を飼ってて、その子は20年近く生きてたんだけど、その子が亡くなった時悲しすぎてな。
あんなに悲しい想いをお前にはさせたくなかったんだよ。」と…
でもね、亡くなった時にはとても辛かったよ。
でも、クマオと一緒に暮らせて本当に良かったよ、パピィ。
最初の頃にエージェントAに送ったメールを読み返してみると、ほとんどがクマオの事ばかりでね。
「クマオ(当時はチャソ)が暴れまわってキーボードに乗ったり、マウスを落としたり、色々遊んでるよ(笑)」とかね。
多分、悲しみよりも多く、幸せな時間が過ごせたんだと思うよ。
ボクはそれだけ幸せだったんだと思うよ。パピィ…
パピィまで泣くとは思わなかったけどね…
ありがとう。