皆様こんばんは。トマシーナです。
今年度初ブログです!まずは今年度もどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m
さて昨日は年度末、最後を飾るピシッとした記事を!と思っていましたが・・・・
土日の熊野の疲れが出たのか・・・・化粧も落とさずに寝てしまいました。
おまけに昨日はテニススクールだったんですよぉ〜。
寒かったせいか生徒数が少なく、かる〜く流す積りが一生懸命やる羽目に(T_T)
それで帰宅したらすっかり力が抜けてしまって。
まあ言い訳はこのくらいにして、今日からしばらく熊野古道記でお付き合いください。
木の根方に静かに鎮座している石仏。
ここを通る巡礼を何人見送ったのだろうか? 有名な円座石(わろうだいし)
ここに熊野の神々座って談笑したという。
左から阿弥陀・薬師・観音仏の梵字が刻まれているが、この写真では分かり難い。苔生した石畳を歩いていると、そこかしこに神の存在を感じる。地蔵茶屋跡に建つ地蔵堂。
この中に33体のお地蔵様が祀られているそうだ。
残念ながら中を覗くことはしなかった。かつてこの道で行き倒れた人を弔うために建てられたのだろうか?
右側に『むゑん佛』の文字が刻まれている。神や仏の存在を感じながら、私たちは雨の中を歩き続けた。 神や仏の存在を感じることが出来なくなって久しい。
私は対外的には『無神論者』『無宗教』で通しているが、実際はちがう。
子供の頃から神社が好きだった。
鎮守の森にある大木や苔生した岩に、子どもながらに『畏れ』を抱いた。
古(いにしえ)の人が熊野を歩んだ気持ちがよく分かる。
熊野という異界に足を踏み入れることで、神や仏を身近に感じたかったのだろう。
私たちが熊野や四国の巡礼に心惹かれるのも同じである。
古道を歩いていると、そこかしこに神や仏の存在を感じる。
一木一草一岩にも神仏が宿っている。森羅万象に宿っている。
その中を歩んでいると、自分もその一部であるような気がしてくる。
母の胎内にいるような感覚かもしれない。